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ケルクショーズ・イリヤ(Quelques Choses - il y a)

らららぎの思想の河床。記事まとめ▶ http://chatte.hatenablog.jp/entry/2017/03/05/011325

こんな風に音楽に噛んだ罪――街中の音楽を愛せるとき

 「にらめっこしましょ、笑うと負けよ、あっぷっぷ」と書けば、自然とあのメロディが思い浮かぶ。「あーそーぼー」と書いても、きっとなんとなくのメロディが揃ってくる。ぼくらは歌っている。たったひとつの情報を伝えるために、いちいちメロディをつけて、めんどうくさそうなやりかたを採用する。
 音楽というのは、思ったよりも溢れている。逆に「これも音楽なんだ」と気づいたときに、まるで正解発表のように、そうです実はこれも音楽でした~、と正体をあらわにしてくれる。
 アニソンクラブに行くと、アニソンが流れている。ディスクジョッキーが流していると言うほうがいいのかもしれないが、とにかく流れている。生き残りたい、生き残りたい、い、い、い、いいいいいいい、流星にまたがって……そうか、クラブでかかっている音楽が無断使用なのは見て見ぬふりするとして、こうやってアニソンを聴くのは初めてだ。濃紺の星空に急上昇してしまいそうな、そんな新鮮で、ドキドキな感覚を知る。
 帰りの電車でiPhoneの通知がぴょこん。もしかしてこれも音楽か、なんて行き過ぎたことを思いながら見てみると、フォロワーさんがツイキャスを始めたとのこと。世界の音を遮断するためにイヤフォンで視聴する。バッハの旋律を夜に聴いたせいです、だってさ。もうちょっと居続けると、ラフメイカー冗談じゃない、なんて言う。いや、言っているわけではなく、流れている。これも無断使用だろうけれど、そういうことじゃあない、こんな風に音楽を聴くことなんて、これまでなかったなあ、と濃紺の星空に急上昇する。キラッ☆
 渋谷から新宿まで乗って、うーん、なんとなく家に帰りたくない。わらわは帰りとおない、なんてワガママな気持ちが、バッハの旋律を聴いたわけでもないのに現れて、仕様もない、映画館のレイトショウを観る。やすいし、ひとも少ない。I like to be in America. Okay by me in America. Everything free in America……観る映画まちがえたかな。でもこういう風にミュージカルを聴くっていいね、これまでなかった。映画はいつも音楽を新しく聞かせてくれる。濃紺の星空は、もういいか。
 深夜、金曜日と土曜日が相互侵食して、いつになく微妙になっている新宿南口。ドゥン、タ、ドゥドゥンドゥン、タ。パーリ、パ、パ、パーリ。アカペラかな。君と出会ってからいくつもの夜を語り明かした、選曲がしぶいなあ。でもこういう夜に、こういうアカペラは滲みちゃうかもね。肉声のあたたかさと目覚ましさ、そういうのもあっていい。
 音楽を思い巡らす。ライブもいいし、合唱もいいね。クラシックやオペラもよかったし、中学の木工授業でオルゴールを作ったなあ。あれから僕たちはなにかを信じてこれたかなって、解散しちゃったけどね。ギターもやるピアノもやる、ウクレレになると一気に調音がゆるくなって、むしろ音程のズレが味になる。西武新宿のユニカビジョンではライブのDVD映像が流れ、そういえば初音ミクとBUMPがコラボした映像も視聴した。あれって、すごいよなあ。初音ミクをあんな風に聴くことはなかったし、BUMPをあんな風に聴くこともなかった。俳句とか短歌だと二物衝突っていうけど、まあそれってことで。
 ラジオは、リバイバルブームだってさ。iPhoneFMトランスミッターつけて古いラジオに音楽を飛ばすと最高にレトロな感じなんだけれど、わかってくれるひとは少ないかもしれない。実はレコードには溝が一本しかないことも若いひとは知らないかもしれない。マスタリングは職人にしかできなくて、あれだけ豊富な音色を一本の複雑な溝と一本の尖った針だけで出していたというのはすごいとしか言えない。
 ローリング・ストーンズは還暦を過ぎてもヘタクソで、だからこそいいのだとみなが口をそろえて言う。日本の音楽シーンが着うた音質と揶揄されるようになってから時代はいくぶん進んだけれど、波形をみると昆布になっていたり、ハイレゾと言いながらやっぱり昆布だったり、ピッチは上手に調整されていて、ヘタな音楽を聞けるのはネットとカラオケと軽音ぐらいになったのだろうか。
 それで、結婚式でも音楽を聴かされる。似たような選曲が目立つけれども、キャンユーセレブレー、いいね、こういう式で聴かされるというのは。なんかミサを思い出すなあ。ミサもだいたい音楽だった。朗読も新しい音楽で、伝言ゲームも音楽と言えるかな。野球観戦に行けば、応援団が吹奏楽をやっている。ついつい乗っちゃうけど、試合の後半はペットがカスカスになっていて、うーん、でもそれが良かったりする。ロボットには代わらないで。
 プロレスを観ても音楽が鳴る。アニメにもドラマにも劇中歌や主題歌がある。いつも1人で歩いてた……そんなの泣いちゃうに決まってんじゃん、というタイミングで主題歌を流す演出に、ああ、泣いたりしたもんだね。いまもだけど。
 youtubeで楽曲を探しているときに、なんとか規約をすり抜けようと、原曲を1.5倍ほど速めたものがあって、試しに聴いてみると男声が女声になっていたりして、パラレルワールドみたいで面白い。drum n bass、ドラムンベースって読むんだけど、ドラえもんドラムンベースというのがネットにあがっていて、のっののののっびたくんくんくんくくくん、みたいな感じで声が行ったり来たりして、台詞が間延びして、前後左右にたゆたうことになる。これも音楽なのか。
 ラッパーが集まると、韻タイムというのがあって、特に決まっているわけじゃあないんだけれど、だれかが「机、椅子」みたいなことをつぶやくと、いままでおしゃべりに盛り上がっていたのが急にしじまの夜のように無音になって、母音の「uue,iu」にあわせて「震え聴く」とか「救え犬」とか「踏むで汁」とかライム合戦が始まる。
 韻を踏むとなんでこんなに気持ちいいんだろう。バースを蹴るだの、バイブスを感じるだの、フローに乗るだの、いいよね。俺がレペゼン、みたいな感じ。ワックなMCでも、ソウルとテクニックで音楽を響かせようとする兄弟の感情にエモいなにかを見つけるよ。今回のタイトルも、こっそり韻を踏みましたとさ。
 そうなってくると、mp3の音楽は退屈で、デジタルのモノクロ写真みたいで、でもそれが逆に、安定したい気持ちのときにすごくちょうどよかったりして、シャッフルみたいな機能があって、題名が言われないことの安心感というか、コンサートとか、ライブとかは、どうしても題名が言われるから緊張する。クラブで連続的・連結的に流されるアニソンなんか、もうどこが始まりでどこが終わりかわからなくて、曖昧で、あやふやで、著作権もあやふやで、それはゲフンって感じだけれど、そういう夜が欲しいときって、やっぱりクラブだったり、シャッフルだったり、mp3なのかなあ。レコードもいいかもね。
 mp3のマンネリズムの響きに身を委ねながら、異化された音楽に思いを馳せる。すべての環境がディスクジョッキーなのかもしれない。いまここで叩いているキーボードも、打楽器みたいなもので、唯一無二の音楽を流してくれている。脳内のことばがキーボードのビートに誘われてここに押し込まれる。打ち込まれる。レム、睡眠は明け方やむ。Come, 寒いから終わる。