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ケルクショーズ・イリヤ(Quelques Choses - il y a)

らららぎの思想の河床。記事まとめ▶ http://chatte.hatenablog.jp/entry/2017/03/05/011325

(掌編)夜を生きたいラーメン屋

「夜明けなんて一生!」
 なんと言ったのかほとんど判別できないような小慣れた短いモーラで、ラーメン屋の店長•神崎タクトが本日八人目の客に熱を飛ばした。
 22世紀に突入してから5年も経ったが、神崎はいまだに旧いラーメン屋で勝負をしている。珍奇なもの見たさで寄ってくる好奇の目が店の利益の半分以上を占めている現状に、神崎は心をしめつけられていた。
 ラーメンが完成するまでにかかる5分間は、見物目的の客を寝かしつけるほど遅い。それでもときどき、その永遠にも感じられる長ったらしい5分間のために訪れる客もいた。
 だれもラーメンのことなんか考えていない。あらゆる物質は時間情報となってしまった。豚骨スープによる時間、小麦粉による時間、それらを統べる神崎のハートを時間化した情報の総量がラーメンとして表象されていた。時間を物質的に食べるようになった人類は、神崎のラーメンを美味しそうに食べた――口からではなく小指の爪サイズの電子的な工具で。
「暗闇!」
 かつては『へいおまち!』と叫ばれていた接客文言も、いまでは暗闇と叫ばれている。早口で言ってしまえば、なんと言っても気づかれないと知った神崎の遊び心である。この遊び心もまた時間化され、勝手に味わわれる。
 やることのなくなった神崎は、暖簾の向こう側を眼差していた。
 このラーメン屋の屋号にはきわめて単純に『昏』という漢字がひともじだけが使用されており、無理に『くらがり/KuRaGaRi』と読ませるようになっている。22世紀の腫れ物のようなラーメン屋を確かな意志で訪ねてくる本当の客は、暗黒のノスタルジアを求めている。DNAの改変しきれなかった隙間に宿っている、中華麺への熱きエナジーが彼らを動かしている。それはまさに科学技術の暗がりであり、科学技術をオーバードーズした現代の副作用である。その癒やされざる残滓に向けて、途中からこの名前に改名した。接客用語も変えた。
 夜明けなんて一生こなくてよい。
 それが神崎の最後の想いである。ときには人生の夜間飛行を再開させたいひとが集まる。暗闇で生きたいひとが夜の眠りを求めてやってくる。暗いところで夜を思い出したい――それでも無情にも、夜の上に昼を敷けるようになった22世紀は、昼の延長を求めた野蛮な人類によって生きられている。そんな新文明からはぐれた夜の住人が、またひとり"昏"を訪れた。
「一名様、夜明けなんて一生!」

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nina3word:「夜明けなんて一生」を含んだ台詞を作中に使ってください。