ケルクショーズ・イリヤ(Quelques Choses - il y a)

らららぎの思想の河床。記事まとめ▶ http://chatte.hatenablog.jp/entry/2017/03/05/011325

菅原千代志『アーミッシュへの旅 私たちのなくした世界』

 去年の米大統領選で「アーミッシュ」がトランプを支持したというニュースを見て、その名前を思い出した。入試の歴史問題で重箱の隅をつつかれたときのために「キリスト教の一派」として覚えただけの、単なる観念の暗記だった。
 先日、また「アーミッシュ」を見かけた。ぼくが愛読しているコラム『地球だより』が、ケンタッキー州オーバーン市の馬糞問題を取り上げていた。世界の珍事件をおもしろおかしく紹介しているのかと思いきや、予想を遙かに超えて深刻な問題がレポートされていた。
 アーミッシュたちは、18世紀の生活様式を守っている。聖書に厳格で、平和主義で、一部では電気も使わない穏やかな生活をしている(オールド・オーダー・アーミッシュ。そのため移動手段が馬車になるのだが、その馬糞がやり玉に挙がり、馬のおむつを義務化する条例を出した。
 それに全面反対するアーミッシュ。投獄される信者もあらわれる。この条例は、アーミッシュの生きかたの否定を意味する。それが時代性なのかもしれないが…。馬糞の衛生的な問題に理解を示しながらも、ライターは次のように締めくくる――「それでも、アーミッシュと一般住民が争うのは見たくない。何とか良い解決方法を見つけ出してほしいものである。」

 アーミッシュが世界に知られる契機となったのは、一九八五年のアメリカ映画『目撃者/刑事ジョン・ブック』(ピーター・ウィアー監督)に拠るところが大きい。(…)しかしアーミッシュの人たちは、この映画の製作に反対だった。理由は先に述べたように、社会から好奇の眼が向けられれば、新たに摩擦の材料になる。何より「そっとしておいて欲しい」というのが彼らの希望だった。彼らはヨーロッパにおける迫害の歴史を忘れてはいないし、注目が集まることで、彼らの生き方に批判的な声も上がることを恐れているからだ。例えば、アーミッシュは絶対非暴力の平和主義を貫くため、戦時にも兵役も拒否し、やむを得ない場合も後方支援などに限った。p.5-7

 本書は、アーミッシュの生きかたをレポート(ルポ)のように描いてゆく。「絶対非暴力の平和主義」というのが口先だけのものではなく、綺麗事なんかではなく、実践されていることを理解させてくれる。その生活は穏やかで、緩やかで、文明に背を向けてもなお現代で豊かに生きていることを証明してくれる。
 「教会の不文律」という節に見知らぬ概念がいくつか出てきた。ペンシルヴァニア・ダッチという古いドイツ語の方言で会話するが、礼拝ではハイ・ジャーマンという北部ドイツのことばを文語として使うらしい。独特な言語にこだわることで外の社会との壁をつくることが「オルドヌング」(Ordnung:規則)として厳しくあり、生活を特徴づけるらしい。オルドヌングは聖書の教えに従うもので、その従順を「ゲラッセンハイト」(Gelassenheit)と呼び、ドイツ語にしかないことばなので、日本語では「神の賜物は何でも感謝を以て受くべきである」(川島専助訳)という意味に解釈されるらしい(p.37-38)
 さらにアーミッシュの家庭には必携本があり、礼拝で歌う歌集『アウスブント』、マルティンルターの『新約聖書』、迫害の歴史が記された『殉教者の鏡』である。

『殉教者の鏡』の中に、アーミッシュの信仰についてしばしば引き合いに出される話があり、例えば、捕らえられ投獄されていた再洗礼派の男が脱走し、官憲に追われた。逃げる男は凍った川を渡りきったが、追っ手は氷が割れて川に落ちて助けを求めた。するとその時男は引き返し、川に落ちた追っ手を救った。その結果、再び捕らえられ処刑されたーーというものである。(…)これがアーミッシュの考え方であり、その一方で、常に外部社会とは一線を画し、そこから受ける影響を注意深く見極めている。いわゆるイングリッシュ(非アーミッシュ)との日常的な交流を目の当たりにしていると、彼らが眼に見えない垣根を作っているなど想像もできないのだが、それは確実に存在する。p.49

 キリスト教は、こういった「たとえ話」(παραβολή)を重要視する。もちろんその教訓が直接教えになっていることもあれば、解釈させることが教えになることもあるのだが、こういったストーリーが肝となってくる。
 この「追われて助けて処刑された」ことをよしとする考えかたには賛否両論あるだろうが、ぼくは好きだ。'06年に起きたイングリッシュによるアーミッシュの学校襲撃事件で年長の少女が自己犠牲で撃たれたことも、その親が犯人を赦したことも、綺麗事抜きで信仰を貫くリアルな生き様が見える。

オルドヌングのところで「〈信仰を損なわせる〉現代文明への非協調」という規律があると述べたが、私は〈信仰を損なわせる〉を〈人間関係を損なわせる〉に置き換えて考えると、私たちにも納得がいく点が多いように思う。強い絆で結ばれた家族やコミュニティの関係といっても、それはベタベタしたものではなく、さりげなく淡泊なものだ。お互いが助け助けられる。それが当たり前なので、助ける側にも助けられる側にも、過剰な想いが発生しない。それが私に、豊かな社会だと感じさせる最大のポイントに思われる。p.50

 哲学者のスピノザは「悪とは関係を壊すものである」と述べた。殺人が悪になるのも、関係が壊れるからである。アーミッシュにとって現代文明を代表するものは、どれもスピノザ的な意味で悪なのかもしれない。
 かつてアーミッシュの家々に電話を引いたら陰口が増え、おたがいの訪問頻度が減ったことから、道ばたに共用電話を引くことにしたという話が紹介されており、その文明への注意深い観察にあたまがあがらない。

 これ以降のページでは、アーミッシュの生活がより具体的に書かれる。食卓の話や畑の話。だれが結婚したとか、だれが結婚したとか、アーミッシュの生活にとって独特な意味を有している行事や習慣が紹介される。もちろんそれらは「アーミッシュ」だからおもしろく読めるのであって、ぼくにとっては「ただのアメリカ人の祭事」に思えたので詳しく読むのをやめた。アーミッシュをおもしろがるために読んだわけではなくて、生きかたを知りたかったから読んだのだった。
 それでもやはりおもしろかった。日本にもモダンなメノナイトの教会があるとのことなので、一度、話を聞きに行ってみようと思う。

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ピラールプレス
装幀:大森裕二
編集:川村伸秀
発行者:高橋敏行
印刷・製本:ベクトル印刷株式会社
本書は丸善から出版された『アーミッシュ』(一九九七年)、『アーミッシュの食卓』(一九九九年)、『アーミッシュ・キルトと畑の猫』(二〇〇一年)をもとに、その後の出来事や変化などを加え、大幅に書き替えたものです

 

あご髭をのばしたジョナサンは、洗い立ての白いシャツに黒いベスト、黒い上着を着て、つば広の黒い帽子。リディアも濃紺のワンピースに、プレイヤー・キャップと呼ばれる白いオーガンジーのキャップを被り、その上からボーンネットと呼ばれるカバー帽子、そして黒いマントのようなものを羽織っている。ランカスターのアーミッシュ女性が被るキャップは、浅くふんわりしたハート形で、他の地域とは形が異なっている。オーガンジーとは、極薄手で張りのある平織りの綿布である。p.27