ケルクショーズ・イリヤ(Quelques Choses - il y a)

らららぎの思想の河床。記事まとめ▶ http://chatte.hatenablog.jp/entry/2017/03/05/011325

お引っ越し日記:〈1〉引っ越しの条件を枚挙しながら《ちょうどよさ》を探求する

 最後に引っ越したのは六年も前のことで、身辺事情もめまぐるしく変化し、そろそろ本気で次の住処を探そうと思った。ほんとうなら最初の一年で引っ越してもよかったのだが、我ながらよく六年も住んだものである。いまは広めの2DKにひとりで住んでいて、ふつうならよほど寂しい環境に身を置いているはずなのだけれど、六年の過ごしかたが非常によかったおかげか、たくさんのひとのたくさんの文脈が重なっていてあまり寂しく感じない。むしろ引っ越しのことを考えるだけで、すこし目頭が微熱を帯び出す始末。
 江戸時代、秀吉の兵農分離政策を引き継いで、住む場所と身分は不可分のままだったが――「山の手」とか「下町」ということばもその名残なのだが――、身分制が消滅してもなお、ぼくらは住む場所にある既存の際立った規定を引き受けながら生きている。「世田谷ブランド」だの、「学生街」だの、「下町風情」だの、「シロガネーゼ」だの、「ヒルズ族」だの。ぼくがいま住んでいるところは、ほとんどノーブランドで…と言いたいところだが、そういえば「志村けん」ブランドだった。まあ、本物の志村けん(?)は、麻布十番で飲み歩いていたわけだが。もともと三人で住んでいたから、べつにブランドなんて気にしていなかったし、ひとり事情が大変な子がいて、もうひとりは勉強をしたがっていたので、とことんなにもなくて休める場所にしようとだけ考えていた。志村けんブランドは後から気づいた完全なる余剰だった!)
 他人にとっての《ちょうどよさ》を求めることが、当時のぼくの《ちょうどよさ》だったのだと思う。もちろんそれは具体的な条件では示すことができないことばかりで、他人に伝えることも、はっきりと自覚することさえもむずかしい。時とともに変化し、その変化を感じ取ることで理解することもできるだろう。その質的な変化に対応する必要を日々のなかで感じるようにもなったから、そろそろ引っ越しをしよう思った、というだけの話でもある。
 (本当はこれほど明確ではないことを承知で変化を記すと)ひとつ目の変化は、ブランドを求める気持ちの浮き上がりである。いまのぼくには「街」が必要だと思う。際立ったなにかのなかに住むことで得られるものがあるのかを知りたい。街への規定が、その街で暮らすひとをどのように規定するのか見てみたい。もうひとつの変化は、江戸に対する気持ちの持ち上がりである。以前は歴史に全く興味を抱けなかったが、河と桜の関係や、河と高速道路の関係、渋谷川の暗渠、東京建築、地名の由来(「お台場」「汐留」「渋谷・市ヶ谷・阿佐ヶ谷」」)などへの関心から自然と「江戸」への興味がわいてきた。それをぶつけるために、都心に住みたいと思う。少なくともいまのぼくの感じたいものが、そこにあるのだということが最近になって〈わかりだした〉のである。
 抽象的な話はそろそろ終わりにして、どこかに住むためには、じぶんと具体的な話をしなければいけない。どちらかというと、この〈終わりのない具体的な自問自答〉のためにブログを書いたのだ。つまり「あるひとりの引っ越し者が具体的なことをどこまで自問自答して住む家を決めたのか」を記すために書き始めた(今回は過程をあまり記さず、結論だけ記す。今後の内見などは過程も記してゆく)。ただ繰り返しになるが、だれかにとっての《ちょうどよさ》というのは、具体的な条件の枚挙だけでは表しがたい。逆に言えば、そうであるからこそ「理想の部屋」に巡りあえなくとも満足して暮らすことができる。
 「暮」の字源は「艸(草)+日(太陽)+艸(草)」とされていて、要するに草のあいだに陽が沈んでゆくさまを表現している。そこから「ない・なかれ」という意味になった立派な否定語である。条件を数え上げてゆくことではなく、その条件の地平に没してゆくこと、条件の海に沈んでゆくこと、条件とともに暮れてゆくことのなかに日々の生活のリアルがある。住めば都というのは、自身の掲げる《理想》を自身のやりかたで謝絶する独自の様式のことではないかと感じる。
 条件を出すこと自体が不要というわけではなく、むしろそれは《ちょうどよさ》の探求をリードしてくれる大事なものでもある。もちろんすべての条件が一致したところで――そもそも条件は出し誤るものだから――、すべてがうまくいくわけではない。大事なのは、注文することで自己責任が生じるということだ(ジオ・ポンティ『建築を愛しなさい』)。こうしたい、ああしたい、こうだといいんだ、ああだと嬉しいんだ、という注文を繰り返すことによってようやくじぶんで選んでいるという当事者意識が芽生える。それなくして《ちょうどよさ》という究極的な個人感覚を求めることは至難だと言える。不動産界隈で言われる「内見してから妥協せよ」という金言も、そのことを伝えているような気がする。
 さて、まずはじぶんの要求を枚挙していこうと思う。

(徒歩圏内=徒歩30分、自転車圏内=自転車30分)
絶対条件:家の近くに「夜に入れて広くて緑のある管理された平和な公園・活気のある商店街」、徒歩5~10分圏内にスーパーマーケット、徒歩圏内に「神社・河川・松屋・チェーンのカフェサンマルクだとなおよく、できれば夜10~11時まで居座れる)・学校(あればあるほどよい)」、自転車圏内に「本屋・古書店ブックオフも含む)・本屋・図書館・auショップ」、家の中が静か(朝と夜に外から遮断不可能な振動が入ってこない)、そこそこ足をのばせる浴槽、料理が億劫にならない程度のキッチンスペース、本を300~400冊ほど置ける面積、一階。

重要条件:最寄り駅から新宿(職場)まで30分以内、徒歩か自転車で下町に繰り出せる、自転車圏内にスーパー銭湯・病院・緑道(あるいはそれに匹敵する散歩コース)、犯罪マップが緑のゾーン、街に歴史がある(シンボルがある)、和室(畳)、電波良好。

希望条件:日当たりがそこそこいい(薄暗くない程度で構わない)、最寄り駅が徒歩圏内、バスのネットワークがある、コインランドリー、ローソン、酒屋、居酒屋、ラーメン屋、パン屋、蕎麦屋、レンタルビデオショップ、天井が低すぎない、ベランダ、共有スペース、物置。

 こうして見ると、スーパーや商店街が絶対条件に入っていて所帯じみている気もする(新宿に職場があるからこそ、というのは大いにあるだろう)。逆にどうでもいい条件をあげてゆこう。どうでもよすぎてあまり思いつかないが、明確にしておいたほうがいいだろう。

テレビ回線がなくても構わない。インターネット工事が必要でも構わない。エアコンがなくても構わない。病院の跡地でも構わない。墓地が近くても構わない。沼地だった場所でも構わない。隣が外人や宗教家でも構わない(現に隣が顕正会とかいう新興宗教の幹部)。隣がウィークリーでも構わない(勝手に毎週ドタバタしてくれ)。駐車場がなくても構わない。ペット禁止でも構わない(苔の飼育禁止は凹む)。ユニットバスでも構わない。玄関が狭くても構わない。虫が入ってきても構わない。セキュリティがなくても構わない。法外な値段の指定ゴミ袋でも構わない。市役所が遠くても構わない。条件外の施設がなくても構わない(娯楽施設・デパート・家電量販店・素材屋・菓子屋・呉服屋・洋服屋・眼鏡屋・薬局・楽器屋・漫画喫茶・カラオケなどの遊戯店・風俗店・美容院・映画館など)。高台でなくても構わない(浸水地区でも構わない「土砂降りの日は、一緒にぬれようぜ!」)。家から見える風景が大したことなくても構わない。大家の愛想が悪くても構わない老害は少し困る)

 憧れて住居を選ぶことはしない。たとえば「エントランスがかっこいい」みたいなポイントにつられたとして、そんなものは(ぼくの場合)すぐに飽きてしまう――とか偉そうなことを言いながら、隣人が好みの女性でなぜかぼくのことを好きになりたまに手料理を持ってきてくれる、なんてことになれば、ぼくは他の条件をすぐに撤回するだろう(「理想の条件を謝絶する」だろう)
 間取も憧れの感覚に近く、「3LDK」のような響きに憧れるのではなく、むしろその面積が問題である。なかには「階段を含んだ面積」などと記されていることもあるので、ますます内見が重要になってくる。
 内見で確認すべきことも多い。面積はもちろんのこと、平日と休日のツーパターンで、朝・昼・夜のトラックの交通量、その他の大きな振動(電車とか、近くの飲食店・公園・工場・施設など)を見なくてはいけない。駅から離れて静かに暮らしたいのだから、神経質になって見る必要がある。前の住人が退居した理由も正確に聞き出す。
 だいたいこんなもんだろうか。あとは実際に内見しながら妥協すればいい。むしろぼくは《ちょうどよさ》を求めてよい。近くにコンビニなんかなくてもいいし、ブックオフもなくてもいい(あったらうれしい!)。家の裏に墓地があって、たとえば呪われたとしたら、それをネタに原稿を書けばいい(原稿書けなくなるほど呪うのは勘弁してください)。家賃10万円と6万円で、(年48万円の差額に目がくらんで)ぼくは6万円のほうを選ぶかもしれない。ひどい立地で笑って暮らせるかもしれない。隣人がまた新興宗教の幹部かもしれない。
 じぶんの《ちょうどよさ》を探求するには、一時的に生活を犠牲にする必要がある。それだけのことを考えて、それだけにアンテナを向けて、それだけのために空き時間を費やすことになる。その受忍限度を拡大することも――あまり語られないが――引っ越しにおける枢要なポイントとなるだろう。集中力は体力のことだから、しっかり体力をつけてゆきたい。早ければ年末に、見つからなければ来春の繁忙期までに。
 ひとまず「いつか配偶者との住処を決めるとき」のための数少ない予行練習の機会だと思って、しっかり瑣事をこなしてゆきたいね。