ケルクショーズ・イリヤ(Quelques Choses - il y a)

らららぎの思想の河床。記事まとめ▶ http://chatte.hatenablog.jp/entry/2017/03/05/011325

もっとローコンテクストで愛してもいいんじゃあないか

「好きなひと」に頭を撫でてもらったり、手を繋いだり、抱きしめてもらったりすること。性的なことじゃないんです、ちょうど、親がこどもにするような――わたしは両親からではなかったけれど――触れるというイベントが毎回、いちいち、とてつもない感動を伴っている。(…)うまく説明できないのがとても悔しいんだけど、わたしのなかでは、この感覚は「目覚めた」という言葉で表される。普段はほとんど「眠って」いるんです。
――ひかりのなかで『うとうと、から目を覚ますもの

 ぼくも最近、ひとまえで、みつちゃん風に言えば(広義の)「好きなひと」――あるいはグルちゃん風に言えば(広義の)「恋人」――と、手をつないだりなんだりということが増えた気がする。ほんとうならもっと、ちょいと古めの少女漫画っぽく、おまえはあぶなっかしいんだからちゃんと俺の手握っておけよみたいなリードなりエスコートなりを発揮できる空間をメイキングすべきなんだろうけれど、ありがたいことに手をつなぎにきてくれるひとが多い。「寒いです」みたいなこと言って、べつにぼくの手じゃなくて缶コーヒーでもいいのに、そうやって手をつないでくれて、「冬が寒くってほんとによかった」みたいな話は、ほんとうにスノーなスマイルなわけで。
 触れられることで目覚めてゆくひとつの感覚というのが、たしかにぼくのなかにもあるような気がする。つまり、もっとローコンテクストで愛したり愛されたりすることがあっても、それはそれでべつにいいんじゃあないか、という気持ちが生じている(つまり「@各位 ラブやで~©寝返りレタス)。複雑な自問自答を繰り返して隘路におちいるくらいなら、「好きなひと」や「恋人」と手をつないでしまえばいいんじゃあないか、という目覚ましが与えられている。
 合衆国ではカトリックの影響下でPDA――Public Display of Affection、ひとまえでいちゃつくこと――の問題が指摘されているけれど、そんなこと構わずやっぱり別れ際にキス(kissing goodbye)するし、昨日会ったばかりなのに今日も会えただけでハグをする。フランス・パリにまで足を運べば、映画の撮影でもやってるんじゃねえかと思わずにはいられないほどの熾烈なキスが路上で散見される。
 存在の底が抜けてしまって「関係」を「関係性」と言ってしまうことで悩んでいるぼくの隣で、そんな悩みなんて「関係なし」と言わんばかりに、カップルはいちゃいちゃしている。肉体=関係を確かめたり、おたがいの手触りを知覚したりしている。以前は「うっとうしいなあ」と思っていたが、最近は正直に「いいなあ」とか「愛されてるなあ」と思えるようになってきた。それはもしかしたら、よい傾向かもしれないとなんだか嬉しい。(もちろん「ひとに迷惑をかけなければなにをしてもいい」だの「私の人生は私のものだから好きにしていい」だのの独りよがりな極論には待ったをかけているが)(加えてみつちゃんは「性的なことじゃないんです」と言うが、ここでのぼくにとっては「性=差=関係」的な意味合いで)
 締めにちょっと古い映画の話でもしてこの記事を終わろう。

George Bailey: What is it you want, Mary? What do you want? You want the moon? Just say the word and I'll throw a lasso around it and pull it down. Hey. That's a pretty good idea. I'll give you the moon, Mary.
Mary: I'll take it. Then what?
George Bailey: Well, then you can swallow it, and it'll all dissolve, see…and the moonbeams would shoot out of your fingers and your toes and the ends of your hair…am I talking too much?
House Owner: Yes! Why don't you kiss her instead of talking her to death?
George Bailey: How's that?
House Owner: I said why don't you kiss her instead of talking her to death?
George Bailey: …You want me to kiss her, huh?
House Owner: Oh, youth is wasted on the wrong people!
――"It's A Wonderful Life"(邦題『素晴らしき哉、人生』)1946

 ジョージとメアリーは、いわゆる両想いとかいうやつで、それなのにうまくキスのタイミングを掴めないでいる。ぼくみたいな非モテは、PDAという独特な概念のあるアメリカにも、こういう奥手な若者がちゃんと存在していてちゃんと苦悩しているんだなということに親近感をおぼえていちいち感動するわけだが。
 ジョージは、メアリーにキスするタイミングがわからず「…ぼくはしゃべりすぎかな/…am I talking too much」と不安そうに言う。ふたりの奥手っぷりに呆れた町のおじさんが「わかってんならいつまでもしゃべってないでその子にキスしたらどうだい/Yes, why don't you kiss her instead of talking her to death」と横槍をいれる。その感覚に不慣れなジョージがモタモタしていると、おじさんは「ほら、これだから若さってのはいつもわかってないやつに無駄にされちまうんだ/Oh, youth is wasted on the wrong people」と既存のことわざをもじって説教するシーン。
 ひとまえでもキスする文化があるところで奥手だと肩身狭いだろうが、逆に言えば、こうやって町のひとからキスしろと言われることもあって、日本=中国の「メンツ=面子」文化で育ち、ハイコンテクストなキスしか知らないぼくにはなかなか想像できないが、とてもよさそうな気がする。
 括弧付きの「好きなひと」に触れられること、目を覚ますこと、その肉体的な現場に存在しながら関係の意味を構築し、「性=差であること」を理解して、たがいが空論でないことの証人として立ち現れること、その一つひとつに感動するような奇跡のような日々が、ぼくの毎日になればいいなあと思いました。