ケルクショーズ・イリヤ(Quelques Choses - il y a)

らららぎの思想の河床。記事まとめ▶ http://chatte.hatenablog.jp/entry/2017/03/05/011325

照りて待つ、柚子は不安の裏返し

「今日のは、つらかったですね」
 後輩の歩幸(あゆみ)が、落ち込む私を気遣ってくれる。わたしのあとから入ってきて、いまだに続いている子たちは本当によく気の利いた子たちばかりだった。
「もうわたし、ハロウィン嫌いになりそう」
「私はもともと嫌いですよ」
「へえ、意外かも。あゆちゃんって、飲み会とかでも最後までノッてるタイプだから」
「騒ぐのはいいんですけど、宗教上の問題がありまして」
「へえ、ってわたし先から"へえ"しか相槌ないひとみたいでごめんね」
「そんなの気にしてるの先輩だけですよ」
「でも宗教的な問題……っていうのかな、そういう障害があったのに、よく洗えたね」
「そりゃあ、これ私がじぶんで選んだ仕事ですからね。それに、田辺様の仰っていたハロウィン風は、あくまで比喩でしたしね」
「今日ハロウィンだもんね」
「あ、いえ、そういう意味じゃなくて、というかご葬家様の話をちゃんと理解できてないのってまずくないですか」
「え、どういう意味だったの」
「故人様はジャック・オー・ランタンみたいなひとだったって言ってたじゃないですか。ジャックは天国にも地獄にも行けなかった彷徨い霊なんですよ」
「そうなの……わたしカボチャのことだと思ってたよ、ちょっと太ってたし。ちなみにいまさら遅いけど、なんでどっちにも行けなかったの」
「結構有名な話ですよ、知らないんですか」
「わたしFランだから」
「Fランを無教養の逃げ道にしないでください」
 ことばが刺さるとはこのことだった。
アイルランドに酒好きでケチな男がいました。諸聖人の日の前夜も男は飲んだくれていました。そこを狙って悪魔が現れます。お前の魂をよこせって、私だったら要らないですけど、悪魔は欲しがったみたいですね。男は、くれてやってもいいが最後にもう一杯だけお前の金で飲ませてくれと言います。悪魔もそれくらいはいいかなって感じで小銭に化けます。男は小銭を財布にしまい込み、悪魔は財布に閉じ込められてしまいました。ことばが悪いですけど、馬鹿ですよね」
「馬鹿だし、出られないんだ」
「出られません。それでなんでも聞くから出せとお願いして、男は十年間くるなと言って、ほんとうに十年がたちます。ふたたび魂を奪いにきた悪魔に対して、男はくれてやってもいいけど最後にリンゴが食べたいと申し出ます。まあそれくらいならいいかと悪魔がリンゴの木に登ると、男は木に十字架を彫りました。あたまいいですね。怖くて降りられなくなった悪魔に、俺の魂をとるなと命令し、それを承諾してバトルは終わります」
「くだらないわね」
「いえ、大事なのはここからです。男が寿命になって死ぬと、まあケチで乱暴者だったので天国から拒否されます。当たり前ですね。仕方ないから地獄に入れてくれと申し出に行くのですが、魂を奪えない約束になっているので帰されます。これまた仕方なく来た道を帰ります。その道はとても暗く、風もあって、なにも見えなくなり、男は灯りをくれと悪魔に頼みます。男は火の塊をひとつだけもらい、それをカブのなかに入れて、ふたたびあの世とこの世のあいだを彷徨い続けましたとさ」
「たしかにそれなりの話かも」
「ええ、それなりの話なんです。ジャックみたいなひとと言ったら、ケチで乱暴者、頭脳はキレるけれど先のことは考えない、あの世とこの世のどちらからも拒否されるようなどうしようもないひとのことです」
「生命力は高そうね」
「それはご遺体を見たときに、私も思いました」
「そうね……思い出すだけで、すこしつらいかな」
「どうぞ」
 歩幸が柚子を差し出してくれたが、わたしは柚子が大嫌いだった。
 露骨に嫌な顔をしてしまったが、こればかりは仕様のないこと。
「え、柚子が無理な日本人なんているんですね」
「そう、そこなんだけどさ、なんで日本人は全員が全員とも柚子大好きみたいなもんだと思っているの。お風呂のあれも柚子の香りとか言い始めるし、お酒のつまみも柚子風味とか、バカじゃないの、ほんとに。なんなら柚子をきかせることがサプライズみたいになってて、柚子風味とか書かないときあるよね。お漬物とかタルトの餡とか。ふつうのひとが食べたら『あ、柚子だ』で終わるけれど、わたしみたいなのが食べたら全身真っ赤。ぜんぶが最悪。それで思い出したけど、むかし、わたしが柚子ダメだって言ってるのに、母親は冬至だから柚子湯に入れって強制してきて、全身真っ赤になったことがあって、それでもなんかわたしのせいみたいになってて、親戚の家で鍋をやったときも柚子ポン酢しかなくて、神経いかれてると思ったよ。私はつゆと塩で食べる羽目になったけど、それもそんなに美味しくないからすぐ食べるのやめてコンビニで唐揚げ買って、あれはほんとうに美味しかったなあ」
「私怨がすごそうですね、そういうひともいるんだって勉強になりました。ほかにダメなものってあります」
「ほかは大丈夫。特に蜜柑が好き。蜜柑は安定してるから」
「柚子は不安定?」
「すごく不安定。柚子風味とか言いながら、あんなに主張してくるものってあるかな。ちょっと添えただけで、もう全部が柚子。マヨネーズみたい。まあマヨネーズは風味とか言ったりしないからまだ好感もてるけど、柚子の『わたしって隠し味なの、てへへ』みたいなテンションで全部を柚子で侵そうとしてくるあたりのヤリマンっぽさが気に食わない。それら全部が柚子の不安の裏返しなのよ。季節を感じさせてくれるだけでいいから、蜜柑をちょうだいって感じ」
「不安の裏返しっておもしろいですね。この仕事も、死体というか、ご遺体を見ると、どういう人生の不安と向き合ってきたか、なんとなくわかっちゃいますよね」
「それはそうかもね。それでもまあ、湯灌してもらえるだけ贅沢な人生だったのかもなって思うこともあるけどね」
「故人様やご葬家様の前では言えないことですね」
「不安に圧し潰されないように、気張って、柚子みたいな人生を送ってきたひとを、最後の最後で蜜柑にしてあげる、そういうことをわたしはしているつもり」
「ジャックだと言われたら、ジャック風メイクにしますしね」
「ウェディングドレスだと言われたら、ご遺体の状態によってはやってあげる。だからこそ、十万も払ってもらっているわけだし」
「今日ジャックにしているとき、そもそも湯灌するご遺体ってジャックなんだろうなって思いました。死後硬直が始まって、私たちのほうである程度弛緩して、化粧したり風呂入れたりして、そこから死んでいってもらう、死を迎え入れてもらう、そういう不安定のド真ん中というか、柚子のいちばん柚子っぽい部分を、こうして取り扱って、やりおえて、感謝してもらえて、うまく言えないんですけど……」
 柚子は不安の裏返しだけれど、それでもわたしたちはその不安と一緒にいなければいけない。向き合うのではなくて、隣にいなければいけない。死んでゆくひとと見ているひとではいけない。お湯という割り切れないものを通じて、死を分かち合う、不安を分かち合う。大事なひとと一緒に煙草を吸っているときのような、お互いの煙を区別することができなくなって、気持ちが相互に浸透してゆくときのような、ごく小さな分かち合い。そうやっておなじ死を見詰めながら、私たちはご遺体を綺麗にする。洗うんじゃなくて、綺麗にしている。そういう意識で仕事をしている。
「また考え込んでますね」
「あ、ごめん」
「いいんです。でも聞きたいです、なにを考えていたのか」
「不安をね、分かち合うんだって思って」
「分かち合う、ですか……むずかしいですね」
「むずかしいかもね」
「いま思いついたんですけど、柚子嫌いな先輩に、ひとついいですか」
「なにかしら」
「『空に柚子 照りて子と待つ 日曜日』」
「俳句?」
櫛原希伊子さんの俳句です。このあいだ読んだ歳時記に載っていました」
「柚子は嫌いだけれど、なんだろう、この句はすごく好きかも」
「よかったです。どこが気に入りましたか」
「伝えるのとってもむずかしいんだけれど、日曜日を待っているのってたぶん子どものほうなんだよね。でもここでは『子と待つ』になっているでしょう。ここが好き」
 あ、そうか、日照りが続くかどうかという子どもの不安を親も一緒になって、分かち合うことになっているんだ。
 いろいろなものがつながってくる。
「私もそこ、好きです」
 歩幸はカボチャのような意地悪な顔で、わたしは悔しげな顔で、同時に笑い合った。

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#創作三題噺深夜の60分一本勝負
#創作三題噺深夜の60分一本勝負_20161221

妖怪三題噺「かぼちゃ」「柚子」「 湯」

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