「真贋を見極めることってそんなに大事なことなんですか」という問いで殴られた話

 とある日のとある政経懇話会に出席して、とある古美術鑑定士の講演を聴いた。あまり具体的に書けない訳は「政経懇話会」みたいな単語から感じ取って、みなさんの知性で察してもらいたいが、とにかくそこでこんな話を聞いた。
 掛け軸の真贋を確かめるひとつの方法として、名前をみるという手法があるらしい。贋作だってがんばって本物に近づけているわけだから、ちょっとやそっとの鑑定眼では太刀打ちできないような気もするが、ここであっさり解決することがあるんだとか。なんでも名前を書くというのは難易度の高い部分らしく、じぶんの名前をじぶんで書くときはナチュラルな中心線が生まれる。他人の名前を正確に書こうとすると中心線がいびつになったり、違和感のあるものになってしまう。
 配られた白い紙にじぶんの名前を書いて、中心で折って、ぼくひとりを除いてみんなが中心線通りになり、政治家や学園長クラスのおじさんたちが「おおおwww」みたいな子どものような反応をしていて面白い。ぼくも負けじと挙手をして訴えたが「きっとひねくれすぎですね(笑)」で片付けられた。ごめん聞かなくても分かってた。
 大きい博物館が威信をかけて大真面目にカガクテキ手法で真贋を確かめても、やっぱりいっつも見極められないで偽物を展示してしまうものだが、なるほど、いろいろなアイデアが集まっている分野なんだなあ、と。贋作を作って騙そうとする悪意は褒められたものではないかもしれないが、贋作の存在、あるいは真贋を確かめたい欲望のおかげで、アイデアやひらめき、あるいは審美眼のようなものが鍛えられているのかもしれない。
 その講演者はテレビでも鑑定している――と言ってしまうと番組はひとつに絞られてしまうが――鑑定士で、プライベートな講演だけあって番組の愚痴がいくつか漏れた。その番組は最初に値段を付ける段取りになっていて、それさえ見れば偽物かどうかがわかるし、価値があるかどうかもわかる。依頼人の八割は、そこでがっかりして話を聞かない。鑑定団のひとたちが「骨董品としての価値はないけどここまで持ってこられるようなものですから、どうか大事になさってください」と言っても聞く耳を持たず、控室で割ったり破ったりするらしい。収録中に暴れて退場になることもよくある話だという。気持ちはわからなくもない。
 そういった経験から「真贋を見極めることは、そんなに大事なことか」という疑問を抱いたらしい。これはすごい問いだなあと思って聴いていたが、半数以上のおじさまがたは「???」の状態で、最初に配られた中心線の紙を折ったりしながら退屈しのぎをしている。もちろんそんな姿がぜんぶ見えている壇上の講演者、さすがに焦りが出る。こういうおじさまがたの価値観とは反していることを口走った。なんとか面白い話を、なんとか興味の湧く話を――という意識が強くなりすぎて、話が何転もする。真贋の見極めはなくてもいい、やっぱり真贋の見極めが大事だ、やっぱり~みたいな感じで、なに言っているんだろうといった雰囲気になる。
 それでもぼくにはぶっ刺さった。真贋を見極めることが大事だと思ってきたし、本質を突き止めることが善いことだと思ってきた節があるので、まさか古美術の鑑定士のひとに「真贋の見極めって、言うてそんなに大事ですかねえ?」と問われ、グラグラした。本人のなかでもまだ曖昧だったみたいだけれど、こっちはカツーンと投石を食らった。
 最後は、用意してきてあったであろうトークというか、若い女の子たちの「日本人らしさの無さ」をマウントポジションで叩き切って、おじさまたちが大ウケして、終わった。いちおう無理やり古美術と絡めて叩いていたんだけれど、ほとんど関係ないような話で、処世的なトークというのも大事なんだなって、こういう場所で生きていくには欠かせないんだなって、改めて大事な嫌な思いをした。