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ケルクショーズ・イリヤ(Quelques Choses - il y a)

らららぎの思想の河床。記事まとめ▶ http://chatte.hatenablog.jp/entry/2017/03/05/011325

無宗教な捕虜の秘密

 俺は捕虜を志願した。
 そうするしかなかったとか、イタリア人は戦争が嫌いだとか、そういう理由からではなく、捕虜のほうがまだ、じぶんの運命を管理できるような気がしたから。軍人として生きるか、捕虜として生きるか、そのふたつが俺を動かす車輪だとして、どちらの車輪ならコントロールできるのか見極めた結果であり、そのために俺は随分と時間を費やし、四肢を何度も負傷させた。そのたびそのたび、俺は傷口に塩を塗り込み、ユダヤ教徒としてのじぶんのルーツを祈った。
 捕虜を乗せたワゴンが停車し、だれもが逃げ出すのを諦めたくなるような、向こう数キロなにもない土地に到着する。
 聞き取りにくい英語のような言語で指示が飛んだ。要するに降りて歩けというようなことだろう。立てとか座れとか、食べろとか寝ろとか、そういった基本動作以外の命令は通じない。言語に頼るしかない時点で、基本的な動作の命令というのは不完全だった。
 この捕虜による捕虜のための捕虜の村には、捕虜捕虜した顔の捕虜が、捕虜虜と言わんばかりに、捕虜んと暮らしていた。待遇は悪くなく、案内人のひとりによれば、十年ほど前から人権を尊重するようになったという。
 俺の選択はまちがっていなかった。うちの軍には人権がない。高性能な銃を持たされ、パートタイムジョブのように撃つだけ。じぶんの部隊の指揮官や、飯を横流ししてれくれる同僚が死んだらすこし哀しいくらいで、あとのことは無感情に、ただなにかのスイッチを押すように人を殺すだけの勤務だった。イタリア人なのに殺すのがうまいなと言われるたびに、イタリアの軍人のイメージが更新されていないと実感する。それが捕虜生活で不利に働かなければいいのだが。
「お前、イタリア人だろ」
 俺とおなじ捕虜の男が、突然はなしかけてきた。
 どこにでもいるんだな、弱そうなやつを見つけて声をかける輩が。
「なんでそう思うんだ」
「毛布、お前だけ二枚使ってるからなあ」
「はあ、イタリア人は寒がりなんて迷信、お前も信じているのか」
「もちろん、実際に寒いんだろ」
「軍人だったときは一枚で我慢してたんだから、別にそれぐらい勘弁してくれ」
「変なやつだな、お前。気に入った。これは親切心だが、そういう態度は気をつけたほうがいいぜ」
「……どういう意味だ」
「確かに捕虜は昔よりも遥かに人間的あつかいを受ける。それはお前も感じていることだろう。だがここでは違うらしい。さっき他の捕虜のやつが話しているのを聞いたんだが、この収容所につれてこられるようなやつは殺される可能性もあるらしい」
「バカな、いまどき捕虜を殺すなんて聞いたことがない。捕虜の宗教の自由さえ認められる時代なんだぞ」
「だから、それは一般論でしかねえんだよ。従順じゃねえ捕虜は殺すしかねえんだ。偽ってでも紛れてでも従順であるべきだ」
「そうか、忠告ありがとう。お礼にひとついいか」
「ウェルカム、なにを教えてくれるんだい、イタリアーノ大先生」
「お前はスペイン人だ、という情報だな」
「……あんたが他のやつと違って面白いやつだというのはわかった」
 男は、仲良くしよう、と握手を求めてきた。
 エスパニョールの訛りが入った英語をしゃべれば、じぶんはスペイン出身だと自己紹介しているようなものだ。
「俺はブルーノ、そちらさんは」
「イタリアっぽいねえ。こっちはアドリアーノ、やっぱり似てるなあ、名前」
「どうでもいいよ」
「ところで、あんた荷物はなにもってる」
武装解除されたから、ほとんどなにももっていない。それはみんなおなじだろ」
「そりゃあそうだが、そうじゃない、武器とか戦争本以外に、なにを残したのかって聞いてんだよ」
「大したものではないし、捕虜になるような間抜けなやつに教えることでもない」
「あんただって捕虜だろうが!」
「俺は捕虜を選んだ」
「戦闘放棄するようなやつが、なんで傭兵になんかなったんだ」
「それをスペイン人に語る気はない」
「荷物開示とどっちがいい」
 面倒なやつだ。
 ただ、喋りかたには艶がある。舌っ足らずだが、セクシーな英語を話す。その点は評価してやろう。
「荷物は、パンと塩だ」
「なるほど、そういうことか」
「ああ」
 これだけでわかってもらえるというのは、純粋に嬉しい。
「ユダヤ人を先祖にもってるんだろう」
「詳しいな」
「俺のロッカールームには勉強道具しかない」
「嘘つけ、ハモンセラとチョリソとアスピリンも入っているはずだ」
「あんたのスペイン人像がわかった気がするよ、まあ正解なんだがな」
ユダヤ教だ」
「だろうな、だからキャンドルもあるんだろう」
「ああ、教会用のチェロをもってきてある」
「すまん、チェロは、キャンドルとなにが違うんだ」
「チェロはチャーチキャンドルだな、短めで薄い」
「ゴムみたいな言いかただ」
「聖なるものだって言ってるだろ」
「男にとってゴムは聖なるものだろう」
 軍人特有の下品なノリに、そう言えば俺はずっと辟易していたんだった。
 俺は無言で睨み返し、アドリアーノはすぐに空気を察してくれる。
「悪かった。それにしても、俺の住んでいたカスティーリャでは、セロって呼んでいた気がする」
「エスパニョールだろうと、カスティーリャだろうと、スペイン語は"C"を素直に発音するからな」
「あんた随分と詳しいな、大学でも通っていたのか」
「当然だ、これまでの会話から、俺とお前の知能指数の差がわからなかったのか」
「イタリアーノ大先生は、これだから困るねえ。それよりあんたの宗教のこと、もっと教えてくれよ」
「ソフトユダヤ教だと思ってないか、悪いが俺の信仰は重たい」
「こんな話題で手加減してもらえるなんて思っちゃねえよ、真剣に聞いてみたかったんだ」
「どうした、しおらしい」
「さっきも言っただろう、猶予は七日間だ。八日目には殺されているかもしれねえ。死を目前にして、神のこと、信仰のこと、いまさらながらちゃんと考えようと思ってな。俺は無宗教だから」
 アドリアーノは、ほんとうに怯えているようだった。
 顔こそ笑っているが、心の震えが露骨に現れていた。スペイン語を使う割合も増えてきた。不安なんだ。
「こうやってな、カンデーラというか、チェロを立てる。俺たちの宗教では、こうやってひとを迎え入れる。蝋燭は、俺たちにとって奇跡の証だから、とても大事なものなんだ」
ユダヤ教のアメリカンが、クリスマスの前に蝋燭を立てていた。神を迎えいれていたのか?」
「それはハヌカって言って、ユダヤ教のなかではあまりメジャーなイベントではないが、蝋台に八日間ずっと灯し続けるんだ。子どもはハヌカの期間中、ずっとプレゼントがもらえる。大したものじゃないがな、それでも子どもにとっては、一回きりのクリスマスよりも、八回もらえるハヌカのほうがいい感じがするだろう。アメリカではそうやってハヌカを流行らせたらしい。イタリアではあんまりやってないな」
「なんで八日間なんだよ、キリが悪い」
「さっきも言ったけれど、奇跡なんだ。ほんとうはユダヤ教のひとは全員死んでいたはずなんだ。戦争が終わって、一日分の油しか残っていなかったのに、奇跡が起こって八日間も火が続いて、みんな助かったという伝説がある。だからチェロは大事なんだ」
「そのセロってのを、みんながもっているのか」
「チェロはユダヤ教ならだれでももっている。祖母から送られてくるのが普通だな、パンと塩と一緒に」
「ワンセット、一式なんだな。パンと塩は、あの聖書の話だろう」
「ああ、塩は永遠だ。すべてのユダヤ教徒にとって、食事はいつも塩から始まると言っていい」
 俺は塩をつまんで、アドリアーノとのあいだに置いた。
 塩は、仲間や友好を意味する。聖なる関係を結ぶための、絶対的な祈りの道具である。
「なんで塩なんだろうな」
「腐らないからだ。神との関係を結ぶために、腐ってしまうものはダメだったんだ」
イースト菌が嫌われるのは、そのためだったのか」
「蜜とか、パン種とか、厳格なユダヤ教の家では、ペサバと言って、腐るものをすべて捨て去る大掃除がある。イースト菌を触った手で触ったものも全部捨てる」
「失礼だったら謝るが、頭がおかしいとしか思えねえな」
「塩はそれほど価値あるものだった。英語のソルトは、給料という意味のサラリーにそのままなっているぐらいだからな。古代ローマでは、働くと塩がもらえたというし、俺たちは塩ほどの価値しかないということばも生まれたぐらいだ」
「白い黄金だったっけ」
「よく知っているじゃないか、アドリアーノ。無理して知能指数をドーピングしなくていいぞ」
アスピリンにそんな効果はねえよ」
 アドリアーノが声を荒げ、周りのやつらが視線を寄越してくる。
 穏やかそうな捕虜村に見えて、ピリピリしているやつもたくさんいる。
 みんな殺されると思っているのか。
「それで、そんな敬虔なユダヤ教徒がどうして戦場に興味をもったんだ」
「話は長くなるが、いま言ったように、塩は貴重だった。だから、塩のために戦争が起きた。世界は塩のために乱れた。聖なる塩を奪い合い、殺し合った。それはあるときまでずっと続いた。なにが起こって、塩の戦争が終わったと思う、ロッカールームの天才、アドリアーノくん?」
「塩が、いまみたいに、安価になった」
「それはなぜだ、なにが起こったのか、という質問に答えることが大事だ。下ネタ以外は不調みたいだな」
「イタリア人に言われたくねえな。あれだろう、簡単だよ、産業革命だ」
「ほう、勘がいいみたいだな」
「本当のところを言えば、ここからがよくわからない。産業革命と、あんたが戦場にいた理由が、なんにもつながらない」
「信仰があるせいで見えなくなる世界もあるが、無宗教だと絶対に見えない世界もある」
「そのことばの前半だけを世界中に言ってやりたいがな」
産業革命を戦争という観点から眺めてみると、機関銃をたくさん作れるようにしたかった、と言うこともできる」
「そうなのか」
「機関銃を最初に作ったのはヨーロッパだった。でも鈍くさいものばかりで、不便な砲撃でしかなかった。デブがその場から動けずパンチだけたくさん出しているようなものだからな、弱かった。それがアメリカやいろんなところで改良され、現在の機関銃のもとができた。それはもう強かったと聞いている。職人が作っていた銃は、すべてが不要になったとまで言われた。でもヨーロッパの銃職人は、その現実を受け入れることができなかった。丹精込めて作った銃が強い、という迷信から自己解放できなかった。勇敢な兵士こそが最強だと信じたい将校が、ずっと権力を持っていたからな」
 アドリアーノは、俺の話を真剣に聞きながら、大事そうに首肯した。
「意固地になればなるほど、戦争で負けていった。勇敢さなんて、機関銃の前に無力でしかなかった。手作りとか、勇敢さとか、古臭い概念を捨て去るときがきて、ついにヨーロッパでも機関銃を作ろうという気風になった。遅れを取り戻すために、職人を精神的に殺戮し、冷徹に産業のことだけを考えて、産業革命が起こった。ひとりの勇敢な将校の代わりとして、数万本の機関銃を作れるようになった。それが塩の戦争を、間接的に終わらせた」
「信じられないつながりだが、そうとしか思えない気もする。機関銃の登場とともに、塩を大量生産できるようになった」
「だから俺は機関銃を知りたかった。塩から戦争を取り除いた機関銃というものを、持ち歩き、撃ち、どれだけすごいものなのかを知りたかった」
「その感想は、どうだい」
「ただただ驚いた。一キロ先にいる敵を、正確に、かつ連射で殺せる。信じられないことだった。いまでも信じられない」
 蝋燭の火が消え入る寸前だった。
 俺の視線に気づいて、アドリアーノも蝋燭を見た。
「なあブルーノ、あんたは祖国に帰れ」
「はあ……なにを言ってるんだ、捕虜にその権利はない。捕虜になった時点で、俺たちは情報でしかないんだ」
「あんたの話を聞いていて、俺は感動した。宗教も悪くないかもしれないなって、なんとなくだけど思った。あんたには帰ってもらいたいという気持ちが、いま俺を支配していると言ってもいい」
「そうか、それは純粋に嬉しいな、アドリアーノイースト菌の入っていない硬いパンに塩をかけて食べるだけでも、いいんだが」
「それもしてみたいと思っている。大掃除だっけか、俺の家にはイースト菌を触った手で触ったものしかないから大変だけど」
 そりゃあやりがいがあるぞ、とふたりで笑い合った。
 最初はふざけたやつだと思ったが、ひとよりもずっと理解のあるやつだった。
 こいつとなら、捕虜生活も悪くないかもしれない。
「セロが消えたな」
「ああ、消えてしまったな」
「じゃあ、一丁、やるかな」
「大掃除でもするのか」
「うーん、大掃除と言えば大掃除だな、どうせ死ぬなら、俺は抗うタイプだし」
 アドリアーノのやろうとしていることが一瞬でわかった。
 反逆だ。武器を奪って、無謀に反逆するつもりだ。
「見てろ、お前を還らせるジープ一台だけ奪う。俺は殺されるだろうが、お前はそれに乗って逃げろ。上官命令だ」
「いつから上官になったんだ」
「きっと俺のほうが年上だ」
 アドリアーノは警備軍のひとりに話しかけ、暴行を加えた。
 銃を奪い取り、敵も捕虜も関係なく乱射した。
 死体を盾にしながら、俺を車のほうに引っ張る。器用なもんだ、と感心する。
「乗れ! 早く乗れ! 逃げろ!」
「お前はいいのか、アドリアーノ!」
「俺はもう死にたかったんだ、だからいい。早く乗れ」
「……ありがとう」
「礼を言いたいのは、俺のほうだ。蝋燭、すごくよかった。それだけだ。俺の生活には蝋燭がなかった。セロって名前が好きだ。帰ったらマンマに辞書借りて調べろ、スペイン語のだぞ! 元気でな、ブルーノ」
 俺は急いで車を出した。バックドアに銃弾の当たる音がする。どんな戦場でも、こんなに緊張したことはなかった。ハンドルを握ったことのないようなガキのようなふらついた手つきで、俺はずっと走り続けた。敵のいないほうを探して。

 あの出来事からもう五年がたつ。
 俺は、奇跡的に、偶然、元いた軍に合流できた。
 最初は自軍の捕虜になるなんて思っていなかったが、すぐに照合してもらえ、意志によって解放してもらえた。
 アドリアーノがどうなったかの情報は手に入らず、それだけがもどかしかった。
 あの下品な笑いかた、知能指数の低そうな英語、それでも心は純粋だった。
「なにかを言われたんだ」
 蝋燭をたてて、チェロがよかったと言っていたんだ。最後までスペイン語で発音しやがって、ずっとチェロという発音を強調していたのを思い出す。
 スペイン語の辞書を立ち読みし、"cero"のスペリングを探す。
 そこに書かれていたことが、まるでアドリアーノの遺言のように、俺の胸を鷲掴みした。
 ――――【cero】無、ゼロ、なくなること。
 あのとき、蝋燭が消えたとき、あいつが確認したのは、あいつ自身の無であり、その無を俺のために使うことだったのかもしれない。あのときぼやけていた世界を見ていたのは、俺のほうだった。


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#創作三題噺深夜の60分一本勝負
#創作三題噺深夜の60本一本勝負_20161215
妖怪三題噺( @3dai_yokai )「塩」「機関銃」「蝋燭」


また80分使っちゃいました…悔しいです…(´;ω;`)