千代恋あめの小説を見る(2)――『クイズゲート』

『クイズゲート』(妖怪三題噺「アイドル マグカップ ゲート」)

 

※注意事項は前回の「千代恋あめの小説を見る(1)――『原稿団地の少年』 - ケルクショーズ・イリヤ(Quelques Choses - il y a)」を参照。
※ショート・ショートのネタバレ(オチバレ)があります
※オール辛口です。褒めるところは「この作品、すげえ面白くなりそうな才能をめっちゃ感じた、やばい…」というポテンシャルの部分で――まあこれだけでかなりすごいわけですが――、総合的な部分では厳しく見るところのみだった、という印象です。つまり書いてあることは辛口ですが、そのすべての評価の前に(すっげえよくなりそうなのに)という註釈がついている、というイメージで読んでいただけたらと思います。余すことなく書きます。
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 クイズのショート・ショート(SS)と言えば、今年の「世にも奇妙な物語」で放映された『クイズのおっさん』や、2009年放映の春楠いさ虫さん『天国と地獄』あたりの知名度が高いかもしれない。やはりプロの脚本というのはプロの脚本で、クイズを道具として使うだけではなくて、クイズそのものが物語の全体に関係している――それゆえ、この物語はクイズでなくてはダメなんだ、と視聴者が確信する。
 小説に道具を出すのは簡単である。クイズを使おうとか、恋愛を使おうとか、レイプを使おうとか、拳銃を使おうとか、神隠しを使おうとか、死体を使おうとか、時空移動を使おうとか、出そうと思った分だけ出せるようになっている。ただ、使うからには、出すからには、物語の全体と有機的につながっていなければ、ただの道具かパッチワークでしかない。
 ショート・ショートが簡単だと言われるのは、道具をひとつ出せば小説が完成するところだろう。これを「ワンアイデア・ワンストーリー/アイデア一発勝負」とか言ったりする。逆にショート・ショートが難しいと言われるのは、出した道具をすべて一瞬で活かせないと退屈な小説になってしまうところである。以前に雨谷ハルの140字小説レビューでも書いたが、短い物語というのは、作家に対して同時にいろいろなことを要求してくる。
 アイラさんが「千代恋あめさんの三題噺、特に今日のやつとか、もう少し磨けば良い意味で悪質な星新一作品になりそう」と評していて、千代恋あめの作品が星新一の作品みたいになったら個人的にショックだが、星が得意としている道具としての「ひとの暗い部分/欲望に対する悲観」の手つきは、千代恋あめの今作で確かに見られた。

 

貴方には、欲望がある
(…)
「貴方は、掛川聖良とデートがしたい、次の欲望として掛川聖良の私物になりたい、またその次に掛川聖良の弟になりたい」
 それは、ファンにとって禁忌の願望。
 男は驚いた、推しのメンバーを当てるだけならまだしも、その禁忌的願望まで当てるとは、只者ではない。
「なんでそれを……」
私はそれを叶えることができます
 司会者風の男は淡々と、その言葉に続けて男に条件を提示をする。
「ただし、三問クイズに正解したら、ですが」

 

 「男」は条件を飲み、最終的にひどい目に遭うのだが、こういう欲望を駆り立てられて、それが不幸に直結してゆくアイデアの出しかたは、星の得意とするやりかただと感じる。
 つまり、今回のオチ――厳密に言えば「オチ」にはなっていないので「落としどころ」と言うべきかもしれないが――は「アイドルの私物になりたい男がクイズの結果として私物になれたのだが、転生したのがコップだったので割れてしまった」といったところで、これが欲望と現実の落差をうまく描いていて、おもしろいと感じられる。
 オチではないというのは、オチは常に「フリ」の対概念としてなければならないということであり、今回の振りどころは「私物になりたい」という欲望の部分である。もちろん司会者風の男に欲望を指摘され、「なんでそれを…」となって、一見すれば振っているようだが、さらに読んでみるとそうでもない。

 

 男は少し考えた。言っている意味はわからないが、この司会者風の男はもしかしたら所謂“同士”なのかもしれない。それなら、悪い奴でもない、少し寂しいだけなのかもしれない、と。
「よくわからないけど、いいぞ。お前のクイズ乗ってやるよ
「いいですね。それでは一問目です」

 

 結局、不幸のきっかけとなるクイズに参加する理由は、相手の孤独への同情でしかない。介護的な発想で付き合って、それが不幸になったというフリオチになっていて、どうしても筋がずれてしまっている。これではフリオチが完成しないので、最後のオチを言っても、ぽかーんという感じになってしまう(アイデアはよかったからこそ、なおさら勿体ない)。

 

「では、最後の問題です」
 男は身構える。
掛川聖良の、思想は?」
 男は、困惑した、そんなものは知らなかった。
「いや、ちょっと、それはわからないな……」
「残念です」
 男の声に感情はない。
「二問目まで正解しましたね。では、貴方の二つ目の欲望を叶えましょう
「二つ目の、欲望?」
(…)
 ハッピード・ラックの待合室の中、マグカップが粉々に割れている。

 

 三問目が不正解になり、二番目の欲望が叶うという「新しいルール」が後から説明される不公平な感じが、ここではあまりうまく生きていない。ここからオチに向かって加速したいところなのに、読者は「あ、不正解。あ、二番目のが叶うのね」とプロット確認に戻らされるので、オチに対してわくわくしている暇がない。
 「二番目は、なんか私物がどうたらとか言ってたから私物になるのか。あ、最後に場面転換した、マグカップ割れた、私物ね」という感じになってしまって、かなり勿体ないことになっている。驚きこそ多少はあるが、それは〈男はマグカップに転生したのに、割れてしまったということは死んじゃったってことかな〉という死への驚きであって、道具立てした「クイズ」とか「欲望/私物になりたいという願望」の結末に対する驚きではない。『クイズゲート』というド直球のタイトルなのに、書きかたの惜しさでクイズじゃなくてよかったことになっているし、クイズであったことはどうでもよくなってしまっている。
 ぜんぶ惜しい。千代恋あめの才能と可能性だけがプンプンプンプンしていて、特になにもなく終わる感じ。一時間という厳しい制約もあっただろうが、逆に言えば、この惜しさは「短編を書く難しさ」でもあって、ここをクリアするのは「時間」ではなく「技術」であって、時間のせいにすべきところではないだろう。
 次に、これはもうすこしどうにかしてくれという話だが、登場人物に「男」と呼ばれるひとがふたりいて、かなり気になった。

 

「な、なんだ、お前」
 男は司会者風の男に聞く。

「私はそれを叶えることができます」
 司会者風の男は淡々と、その言葉に続けてに条件を提示をする。

「ただし、三問クイズに正解したら、ですが」
 は少し考えた。言っている意味はわからないが、この司会者風の男はもしかしたら所謂“同士”なのかもしれない。

 

 

 ここはまだギリギリ――本当に好意的に言ってギリギリ――「司会者風の男」と説明が入っているのでよいとしよう。ただいちいち毎度毎度「司会者風の」と入れるのは、書いているほうにも読んでいるほうにも、ありえないくらいだるい事情となってしまう。

 

「いや、ちょっと、それはわからないな……」
「残念です」
 の声に感情はない。

 

 これはどっちだ。順番と口調的には司会者の男だが、ここまで「男」と言われていたのは主人公の男である。状況証拠は揃っているのに、物的証拠がなくて決めきれない。どっちともとれる。

 候補が複数ある地の文ほど、かったるいものはない。ミステリーとか、推理小説とか、その他のトリックやレトリックでわざと候補を狭めないことは多々あるが、仕掛けているわけではないところでこれをやるのはマズいだろう。司会者のほうをオジサンとか、ジェントルマンとか、貴族とか、あるいは女とかにすれば回避できるので、すこしの工夫をほどこしてどうにかしたいところである。
 それでは、冒頭からことばを見てゆく。

 

木枯らしの吹く寒い十二月。

 

 ここでむずかしいのは「木枯らし」である。いちおう「10月半ばから11月末にかけて西高東低の冬型の気圧配置になった時、北よりの風速8m/s以上の風」という気象庁の定義があるので、あまり「十二月」に使いたいことばではない。
 ただもちろん、もともとの、「こ/がらし」に関しては、その事情ではなく、木が枯れるほど強く冷たい風のことで、主に「冬の訪れ」とか「恋愛の焦がれ」を風流的に表象するものとして使われていた。季語が冬なので「十二月」を取りたくなるが、かなり微妙なラインなので避けるのが無難だと思われる。

 

(…)男は部屋に引き篭もって、インターネットで動画を見ている。動画は、人気アイドルグループ「ハッピード・ラック」の看板番組。男はその中でもセンターの隣にいる「掛川聖良」を推している。清純派にはない妖艶で蠱惑的なキャラクターに、男は惹かれている。
 いつものように掛川聖良のまとめ動画を見ていると、先週分の動画である告知があった。

 

 「これはバンズ、これはレタス、これはトマト、これは肉」みたいな殺風景な説明文が、なるほど、たしかに星新一のようだと言われれば、そうかもしれない。
 このあたりが淡々とした説明文になっているのは、すでに前回も指摘したが、映像をもとに書いているからである。男が部屋のなかでパソコンとかタブレットをひらいて、じぶんの欲望のために堂々と違法動画をみてるくせに「推し」とか言ってファンであることを自負しているみっともない人物の映像が、鮮明にあるのだろう。
 その機械作業的な出だしをやりすごすために「蠱惑的」のようなむずかしい語彙――こういう語彙をこういう用事で使うことを「ビッグワード」と呼ぶ――を使っているのだと思うが、ここにもすこしズレがある。
 「蠱」(もともと中国語では「蛊」)というのは、皿の米にゾウムシがたかっている絵で、そこから寄生とか取り憑いている感じを表示するようになった。その流れで「使人心意迷惑」という意味を持っている。そこにポジティブな意味は一切なく、むしろ呪詛としての要素が強い。
 ハードボイルドで「危険な女」に惚れるバカな男はありがちだが、「呪いをかけそう」という評価軸でアイドルになるというのは、やや理解しがたいニッチなところだろう。お笑い芸人の鳥居みゆきさんも、お笑いの文脈でなければむずかしかったと思う。すくなくとも、蠱惑的ということばを好意的な評価として使いたいのなら、それに値するエピソードを盛り込むべきだろう。

 

全国のコンビニエンスストアで、ブロマイド付きマグカップを販売するから、急いで買いに行くといいわ
 ディスプレイの中で掛川聖良が腕を組んで告知をしている。このさばさばした性格も、掛川聖良の売りだった。

 

 彼女の人柄を表すエピソードは、これぐらいで、正直に言ってしまえば「これのどこが蠱惑なのか…」といった失望感があった。ぼくの感覚からしたら、ベタもベタでクローンヒロインと呼ばざるを得ない、ただの薄っぺらいツンデレに見える。
 しかも、さばさばしているのか、蠱惑的なのか、どっちなんだ、というツッコミが読者全員から入るところでもあるだろう。
 あとこれは大したことではないが、「全国のコンビニエンスストア」で販売するというのは、どういうコラボレーション契約なんだろう、と思った。ふつうは「セブンイレブン=乃木坂」みたいなコラボだろうし、ブロマイド付きのマグカップみたいなほとんど需要の見いだせない代物は「限定店舗」だったりするので、主人公みたいな真っ暗な田んぼに住んでいるようなひとは「オークションの転売待ち」に慣れていて、簡単に深夜の寒い道を歩くようには思えない。
 文法で気になったのは、「腕を組ん告知をしている」の部分だが、接続助詞「て/で」は、前後の関係を強化する接続助詞である。意味や機能、あるいは状況がひとつづきとして示されるときに使う。つまり、「腕を組む」ことと「告知をする」ことが、順番的に強く結びついているということになる。
 千代恋あめは、この告知のシーンを映像で書いているため、どうしても「腕組み→告知」の順番が譲れない。ただ、この告知エピソードで書きたいのは、どう読んでも「アイドルが塩っぽい感じ」なのであって、この地の文では「告知なのに腕を組んでいた」ことが最重要であるはずだろう。
 小説の素晴らしいところは、映像的な順番に縛られないところである。あるいは順番を書かなくてもよいところであると言える。腕を組んでいたことを強調したいなら、いくらでもそこにアンダーラインを引いても構わない。クローズアップして構わない。スローモーションにしたって問題ない。塩対応の描写を書き続けてもよい。
 だからここで書くべきだったのは、「告知動画のなかで、掛川は腕を組んだままだった。媚びるべきファンに対して、始めから終わりまで甘さを見せないアイドル不適合な態度が新鮮で、数多くのファンから支持されている。もちろんセンターになるにはそれでは足りず、理想と現実のギャップを受け容れていない掛川の不器用さに、男は闇を見出し、どんどんと惹かれていった」のようなエピソード=男とアイドルの両方のキャラクター紹介であったと思う。

 

ハッピード・ラックは国民的アイドルだ。下手したらもう売り切れているかもしれない。

 

 先も書いたが、「マグカップ」が売り切れる心配をさせて男を動かしたいなら、「国民的アイドル」という理由だけでは足りないだろう。

 

 コンビニまでの道は、田んぼに挟まれた暗い細い道を進んで行かなければならない。男は田んぼに落ちないように道の真ん中を歩いていると、道の真ん中、なにか大きな丸い影が見えた
 それはなにか、大きな丸い輪。輪の中は真っ暗闇だった。
「貴方には、欲望がある」
 後ろから不意に声をかけられた。男は振り返る。

 

 このあたりは、ポケモンで言えば「草むらに入ったらポケモンが出てきた」ぐらいの必然的なノリで書かれているので、ちゃんとフィクションらしく「偶然」を装いたい。遭うべくして遭った災難によって不幸になっても、あまり面白みがない
 その書きかたは無限にあるので正解を言い当てることはできないが、たとえば「占いで最下位だった」でも不幸の伏線になり得るし、「この時期にしては珍しく無風でなにか嫌な予感がした」でも足しにはなる。玄関の電気が切れたことにしておけば、不吉な感じがするし、コンビニに行く強い理由にもなって「巧い=プロット的にコスパが高い」と言える。あるいは主人公は貧乏な設定にしておいて、「畑のなかでキラッと光ったような気がして、普段は寄り道をしないのに、男は用事を後回しにして農道を進んでいった。たどり着いたところには大きな輪が~」とすれば、いかにも不幸に誘われた感じが出る。
 繰り返すが、正解はない。しっくりくるものとか、伏線自体が面白いものなどはあるだろうが、どれが『クイズゲート』にとって正解かなんてことは、どこまでいっても決まらない。だからこそ作家は延々と推敲をしてしまう。ここではもうすこし偶然を操ってよかったと思う。

 

どこからかクイズ番組特有のあの主題音が流れ、男が辺りを見渡した

 

 物を書く人間として、「あの」で読者に任せるのはなかなかまずい。映像ができているのにそれが文字にならない、という苦悩をひしひしと感じるところだが、書けないなら書かない、書きたいならちゃんと書く、あまり中途半端な説明文を入れても、作品を損なってしまうだけなので、このあたりは明確な基準をもってはっきりやりたい。
 次は語彙の話になるが、「辺り/を見渡す」という表現は、かなり広範囲を実際に見ているときに使うのだが、ここでは真っ暗だから「辺り」も「見渡す」も成立しないように思える。広くないし、見えていない。暗いシーンでも明るい設定で書いてしまうのは、映像を構築してから文字にしようとするときの厄介なところでもある。映像は暗いシーンも見える程度に明るい場合が多い。
 ここでは見えないので、できるだけ狭く、見えていないときにも当てはまる「周り」とか「周囲」を使って、「模索した」とか「神経を研ぎすませた」とか、不確定な描写を使うのがよいだろう。

 

掛川聖良の、好きな食べ物は」
「二問目、掛川聖良のほくろは」
掛川聖良の、思想は
 男は、困惑した、そんなものは知らなかった
「いや、ちょっと、それはわからないな……」

 

 かなり細かいが、最後にだけ「?」が付いているのが気になった。また、二問目までがデータに関する問題で、三問目だけ記述問題なのは、都合いい感じがする。
 そもそも「思想は?」って聞かれて、「知らなかった/わからないな」と答えるということは、ほかのひとの思想だったら「知っている/わかる」場合があるということで、そんなわけあるかい、とツッコミをいれたくなる。
 ふつうこんな回答不可能な質問をされたら、「思想? なんすかそれ? クイズなんすか? あたま大丈夫っすか?」となるもので、この男の不正解の態度は、不正解になることが決まっていたときの態度だと言えるだろう。

 

その大きな輪の中に入門した

 

 輪なのか、門なのか。

 

何かが割れる音がした。

 

 ここだけ、だれかの視点になっている。ここまでは三人称視点で、家の外で木枯らしが吹いていることさえ知っている視点のはず。
 ここも映像的な弊害で、マグカップの映像があるのにマグカップって言いたくないから、しょうがないから「x」を代入しよう、ということになっている。そのせいで「何かが」という意味不明な視点になっているのだろう。
 繰り返しになるが、小説には書かない自由がある。情報をまだ教えない、という開示の順番を物単位でコントロールできる(推理小説なんか証拠がいつ見つかるかをコントロールするわけだし)。
 それに加えて「男」の背後霊視点を急に捨て去っているから、読者は突然の神視点にびっくりする。これまでの視点を捨てるなら、その切り替えにもうすこし文章量を割かないといけない。これはかなり面倒くさいので、やはり男の背後から三人称で語るのが無難だろう。そうなると、ここは、あくまで即興の参考例だが、

男の目には、暗い田んぼはなく、広いスタジオが映っていた。簡易的な休憩セットのようなところで、アイドルのような子たちがくつろいでいる。男は夢を見ているときのような気分になったが、それでも見えているものや、聞こえてくる音があまりに現実的だった。
「五分後にリハ始めます、みなさん立ち位置の確認お願いします」

スタッフの声が響き、同時に男の周りがドタバタとし始めた。その慌ただしさのなか、突然、強い衝撃が伝わってきた
「あぶない!」
宛先の曖昧な危険信号、男の視覚は右に回り、同時に床に近づいていき、最後は床に接触して、散らばった。複数の悲鳴。状況確認をするスタッフの声。
聖良のマグ…わたし当たっちゃって、ごめん…」
「いいよいいよ、ちるちゃん。そんなに大事じゃない私物だから。ちるちゃんに怪我がなくてよかった」

のように、三人称背後霊型のまま、工夫して書き通すのがよかっただろう。
 全体として惜しかっただけに、惜しい部分が際立った作例だった。時間があればもっとうまく書けたであろう箇所と、テクニカルな問題をやり過ごした箇所があって、詰めていけば何倍にも膨張するポテンシャルの塊のような、いい作品だった。