ぼくは裸のまま本音を妄想する

 デブで、キンキン響く声で、風呂に入っていないのではないかというほど毎日のように汗臭くて、真面目なことなのに笑いながら話すひとが職場にいる。この書きからわかる通り、ぼくはこのひとのことが全人格的に嫌いで、軽蔑さえしていると言える。話しながらたまに笑うのではなく、笑いながら話すので、まずなにを言っているのかわかりにくい。声が甲高いし、デブ特有の大声なので、声の距離感も当然最悪で、オーディオ性能が悪く、音声のコミュニケーションをしたくない。話しているだけで精神力を削られる。
 それでもお互い人間だ、いつものように「でも、これは病気か癖であって、本人の人格とは無関係だから否定すべきではないし、偉そうに指摘するようなことでもないし、これぐらいのことはじぶんにもあるはずなので、いちいち個人的な不快感を根拠に改善を求めるようなことでもない」とじぶんに言い聞かせて、職場内ノーマルコミュニケーションズを今日も維持する。
 ぼくは、じぶんのこのふるまいを「正しい」とか「なんてクールなんだ」と思ってきた。ただ、改めて考えてみれば、いわゆる〈本音〉を言うにはひどく高い能力を必要とするだけで――相手の傷を最小限に抑えることばやタイミングを決める知性、言ったあとの世界に責任を持つだけの勇敢さ、そういった能力と努力が求められるだけで――あって、単にぼくは「本音を言うだけの能力も努力もない人間である」ことを隠すために、〈建前〉という観念を言い訳に滑り込ませている気がする。
 そういうことを考えていると、「でも待てよ、能力とか努力とか以前に、本音ってなんだ/建前ってなんだ」というところに漂流する。つまり、ぼくはぼく自身の「本当」と「嘘」の境界線や縫い目をどのように判別しているのだろうか。「これが俺の本当に言いたかったことなんだ」というのは、どうやって決まっているのだろうか。あれ、これはラカンがいろんな用語と比喩で語った「自己言及の不完全性」の問題じゃないか。どうも考えても考えても無理なはずだった。
 本音も建前も、ぼくは知らない。
 本当に言いたいことも、本当は言いたくないことも、たぶんない。
 本音で話せないし、建前で考えられない。
 その境界を自己言及できない。
 「今日ぼくは本音を言わなかった」とぼく自身が妄想しているだけ?
 ぼくはこの妄想とどうやって付き合っていけばいいのでしょう、ラカン先生。