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ケルクショーズ・イリヤ(Quelques Choses - il y a)

らららぎの思想の河床。記事まとめ▶ http://chatte.hatenablog.jp/entry/2017/03/05/011325

じぶんにとって都合のよい黒白思考は悪だろうか――「わがまま」を考え直す

 じぶんにとって都合のよい黒白思考は悪だろうか――この問いを何度か審問にかけてきて、「悪である」とか「メンヘラ的な悪性がある」という答えを出してきたし、心理学的にも「認知のゆがみ」と呼ばれていて、悪い意味でタフな思考だとみなされている。改めて考えてみて、黒白思考そのものが悪いわけではなくて、それを操るひとの意図の問題であると思い直した。

 昨日遊んだひとは、自他ともに認める(?)わがままだが、一緒にいてそれが不快ということは一切なかった。むしろ個人的には、この子がわがままを言うごとに状況や関係はよくなってゆくように感じた。
 こういうタイプのわがままを繰り出すひとってほかにいたっけな、と交友関係をおもいめぐらせてみると、ああ、なるほど、これまでじぶんが(性別の男女を問わず)好きになってきたひとというのは、多かれ少なかれ、こっちのわがままを実践していた。(姉もこのタイプで、なおかつぼくはシスコンなので、この好意感覚が姉から来ているのではないかという仮説を立ててみるが検証は別の機会に譲る)
 他者へのあらゆる要求は、基本的に返済される。
 償却されると言ってもいいが、とにかく、わがままはおなじクオリティで返ってくる。だからこそ、この「じぶんの余裕やキャパシティを拡張するためのプラスなわがまま」は、関係をよくするのではないかと思う。双方がおたがいを利用しながら余裕を生み出していくことで、段違いの余裕が生まれる。カレンダーで言えば、おたがいが、三連休くらいの気持ちになれる。おたがいがどんどん楽になってゆく画期的なシステムが、この「わがまま」である、とひとまず断定しておきたい。
 それに対して、じぶんの余裕をなくすためだけの黒白思考もある。
 ぼくがこれまで審問して、無邪気に断罪してきたのはこっちのタイプで、メンヘラ的というのも「じぶんの余裕をなくすためのわがまま」という病的に感じる部分をピックアップしてのことだったと思う。じぶんを「可哀想」にするため、ひとの道徳心や、良心や、あるいは心の闇、心の穴を利用しようとする精神があまり好きではない。
 このタイプのわがままを「返す」としても、じぶんが余裕をなくすだけであって、結果として自傷に付き合っているに等しい。そんなあほくさい自傷趣味は、いまのぼくにはない(かつてのじぶんにはあったかもしれない)。すくなくとも、だれかに「返す」形で行われる自傷は身勝手に感じるし、たにんの良心や心の闇をおもちゃにする気も起きない。
 というのも、まあ、個人的な好みの話なので、ひとによっては、どっちもどうでもよかったり、真逆だったりするのだろうとも思う。一般化できることでもないし、ひとりひとがどちらのタイプのわがままをすることもあるだろうし、「じぶんにとって都合のよい黒白思考」を、そもそも「わがまま」ということばで置き換えるのが適切なのかもわからない。わからないけれど、ぼくの感覚をわかりやすくふたつに区切ると、いまはこんな感じなのかな、と思う。