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ケルクショーズ・イリヤ(Quelques Choses - il y a)

らららぎの思想の河床。記事まとめ▶ http://chatte.hatenablog.jp/entry/2017/03/05/011325

星を見た

 友だちを誘って流星群を見に行った。流星群なんて口実で、誘いやすいように「日付」が決まっているものならなんでもよかった、と今では思うが、とにかくあのときはいつの間にか誘っていた。それほどたくさんの星を見ることはできなかったけれど、雲の隙間から見える秋の薄暗い星々は、とても新鮮だった。
 見るという行為には、そのひとの孤独、そのひとの寂寥、これまでの、そのときの、うら寂しさが溢れている。ひとは、どこまでいってもひとりでしか見ることができないから。だれにも引き継ぐことはできないし、だれかと交換することもできない。単独でしかあり得ないことを突きつけられ、みずから傷つくことになる。
 だからこそ、ぼくらは、だれかと一緒に見たいと願う。別々の呼吸法で生きている君と、おなじところから、おなじ眼差しを、おなじ対象に向けることを期す。そんな不可能なことも、君となら、という気持ちで何度でも。
 ――あそこに見えてますよ。
 そんなこと言われても見えない。眼鏡は、手元の新聞を読むために作ったから、ピントが無限遠の星を見るには向いていない。
 ――見えないんですか、ほら、あそこの雲と雲のあいだの三角になっているところ。もうすぐ隠れちゃいますよー!
 指をさす。その指先からマイナス方向に延長した地点に、もぐってみる。あったかくて、いい香りがする。視力が悪くてよかったかもしれない、なんてこと思いながら、一点に集中する。やっと見えた。
 ぼくらは、ふたりで「見た」だろうか。密着して、距離のなくなったところから、一緒に、人差し指で夜空をさして。
 なにを見るときでも、見られている気がしてくる。星を見たからこそ、星が見てくれているという感覚に陥る。ひとりで見られるのは怖いけれど、一緒に見られてくれる存在がいることの安心感。
 忘れていたなあ。
 留まっていたい感覚。子宮のなかで、ぼくがきっと思っていたこと。
 まなざし、まなざされ。見詰め、見詰められ。
 どこかでぼくらはひとつになっていなかっただろうか。
 そうやって朝を迎えて、別々の場所に帰ってゆく。