プレゼントとか、おめでとうとか、そういうののむずかしさ

 毎年毎年、誕生日が近くなると、利用した覚えのない店から「おめでとうございます!割引です!」みたいなダイレクトメールが届く。要するに、特別安くしてやるから来いよということで、日本語では「紐付き」と表現する。

 そういうビジネスライクな「おめでとう」になびくもんか、と意気込んだところで、そういえば、じぶんの放った「おめでとう」は紐付きではなかったのか、という疑問が立ち沸いた。じぶんのそういう面倒くさい性格にも慣れたけれど、慣れたからといって思考停止できるわけではない。むしろ、この、ほの暗い思考回路は〈底止〉するところを知らず、どんどんと潜ろうとする。

 浅はかな紐付きのダイレクトメールを馬鹿にしながら、じぶんの贈ったプレゼントや「おめでとう」や「かわいいね」や「すごい」は、紐付きではなかったのか考え始めると、なかなか認めたくはないが、見返りを求めているようにも響いていた。たぶん「好きだよ」とか「ありがとう」とか、そういうことばにも、ぼくは紐を付けているような気がする。

 未熟だから、人間の出来が悪いから、そう言い訳したところでしかたない。気づいてしまったからには、こんな出来の悪いじぶんとどうやって一緒に生きてゆくかを考えなくてはいけない。

 できれば、ビジネスライクじゃない響きで、みんなと話したい。悩みだ。

 

 おわる。しーゆーれーらー